こんにちは。友達ってそんなに必要?友達がいない人はダメ人間?などとこの年になって今一度考えてみよう思っている『ダメもと』です。
年齢や性別によっても違うし、最近はSNSなどの普及により今までとは違う考え方があるとは思いますが、私なりに考えている事を書いてみましたよ。
何を基準に友達なのか?
みんな、何を基準に『この人友達』って思っているのかな?
- いつも一緒に行動しているから
- 旅行に一緒に行くから
- お昼休みに一緒にご飯を食べるから
- 仕事が終わった後一緒にお酒を飲みに行くから
- ラインやメールアドレスを交換しているから
等、色々あると思います。でもそれって全部1人で出来ることと思いませんか?
上記の例で言うと最後の『ラインやメールアドレスを交換しているから』以外は全部1人でできることですよね。いや、なんでも1人でやれって言ってるのではないですよ。
一緒にいて楽しいのなら、友達はいるに越したことはないと思います。でも、その友達と思っている人と一緒に行動していて『ストレス』を感じていませんか?
友達がいないことが恥ずかしいと思って、無理をしていませんか?
例えばLINE
例えばLINEは今やメールに代わる代表ツールになりました。何かといえばLINE、LINEです。バイトもLINE、上司との連絡もLINE。LINE交換することが友達、みたいになっていませんか?
私は2年前にやっとこスマホに変えた時代遅れの人間ですが、その時勤めていた会社ではLINEはおろかメールアドレスの交換さえもしていませんでした。休憩時間におしゃべりなんかは普通にしますよ。
でも『メールアドレスまたはLINEの交換はしない』と公言はしていましたね。教えないオーラもだしつつ。なぜならLINEなんて、会社の人間とするとなると絶対に『誰かの悪口大会』になるから!
ピコン!『誰々ってどう思う?』
ピコン!『え~、めっちゃ嫌い』
ピコン!『やっぱりそう思う~?』
ピコン!『思う思う!!だって…。』以下永遠に続く。
ってなるでしょ?めんどくせ。言いたい奴は一生やっとけ。と、思います。
ちなみに人の悪口言うのも体力いるし、自分が言いたいときや、聞いてほしいと言われたときも顔を見ながらじゃないと、と理由としてあげていました。
変わっている人と思われていたかもしれません。でもいいんです。『未読』も『既読』も、思うのも思われるのもめんどくさいし。自分の中に信念をもっていたらいいんです。
と私が言っても、今学生の方々はそうも言ってられない時代なのでしょうね。大変な時代です。私が今の時代に生まれていたら、確実にいじめの対象でしょうね。
いいね!を買う人
ちょっと前の話ですがFacebookやTwitter、Instagramなどで『いいね!』を買う人の話。本当にびっくりしましたね。そこまでして『私はみんなに「いいね!」してもらっていますよー!すごいでしょ?』と、誰に発信しているのでしょうか?
わからんわ~?私が時代遅れだけなのでしょうか?
事前調査する人
ここで私の体験を一つ。
新しい会社に入社して1か月目ぐらいですか。先に入社している方と帰りのエレベーターで一緒になりました。仮にAさんとします。以下その時の会話。
Aさん「ダメもとさん(私です)って○○に住んでるんでしょ?私今から行くんだけど…。」
私「いえ、住んでるの△△ですよ。」
Aさん「……。」
当時私は引っ越ししたばかりで、長く住んでいた○○という土地を離れていました。そして△△という土地から会社に通っていたのです。そもそもその会社に入社してから、誰とも『○○に住んでいたことがある』なんて会話したことがないんです。
(???なんでこの人私が○○に住んでいるって思ったんだろ?て言うか○○に住んでいたこと知ってるの?きもっ!)ってその時は軽く流したのですが…。私が??って顔を無意識にしていたみたいで、ちょっと『しまった!』って焦った感じになったんです。
Aさん「えっ、○○に住んでるって前に言ってたじゃん。この前言ってたよー!」
なんか、かたくなに「言ってませんよ。」って言うのもなんだから「そうですかね。私言いましたかね?」って話は終わったんですけど…。
私は業種としてはずっと同じ仕事をしてまして、狭い業界なので会社が変わっても『この人どこかの会社で一緒だったな。』みたいなことがあるんですね。
だからAさんとしては、私がどんな人か知りたかったのでしょう。自分の知り合いに、
『ダメもとさんって知ってる?どんな人?ヤバい奴?』
とか、調査したんだろうな~って思うんです。ちなみに私はちょっと変わった苗字なので誰かと間違えているとは思えません。
なんだかなぁ~。と思いました。私の情報を教えた人も『ダメもとは○○に住んでいる』なんてよく覚えてるなぁ、とも思いますし。
こういう事があったら、私は距離を置いてしまいます。やたらどこに住んでるとか、誕生日覚えてるとか、社員みんなの下の名前(○○子とか)覚えてるとか、そんな人ってたまにいますよね。それが友達を作るきっかけになると思っているのかね?て言うか私は引く。
例えば誰かに興味を持ったら、『直接本人に聞いたらいいのに、そんなことぐらい』って思いませんか?
友達がいないことは恥ずかしいことではない
友達がいないことは恥ずかしいことではないと思います。
友達が離れていかないように相手に合わせ、自分に嘘をつき、ストレスをため込んで、また違う友達に悪口を言って発散している…。そんな『負のスパイラル』に陥っている方が恥ずかしくないですか。ま、恥ずかしいは言い過ぎか。めんどくさくないですか。
浅く広くはダメなのか
私はここ15年ぐらいは『浅く広く』をモットーにしています。本心は『友達いらん』と思っていても全面的に出してはいけません。
この人と関わりたくないからってかたくなに喋らないとか、無視するとか、挙句の果てには挨拶さえしない。そういう人最近本当に多いです。
会社に勤める限り、愛想笑いの一つも出来ないと自分がしんどくなってくる。愛想はないよりあった方がいいのです。
ここは割り切って愛想笑いの練習をしてみるのもいいと思います。『そういうお前はどうなんだ』と言われそうですが、愛想笑いは得意です。いつもほんのり笑ってて『きもっ!』って思われてるかもしれません。
『すいません。』と謝ることもなんの苦も無く『すいません。すいません。すいませーーん!』の大安売りです。
あと、どうでもいい話が長そうだったら『右から左』です。『右から左へ受け流す~♪』です。古いですね。「ふんふん」なんて相槌打っていますがほとんど聞いていません。でも『右から左』をしすぎて、本当に聞かないといけない大事な話も聞いてない時が最近多々あるのが悩みです。
そんな感じで最近は、友達に限らず人間関係は『浅く広く』。でも何も困ることはないですよ。むしろ快適です。
誰ともかかわらない生活なんてない
『友達いない、寂しい』って言っても、生活していると誰とも関わらない事ってあんまり無いと思うんです。『友達』にこだわるから『寂しい』ってなるだけで、どこかで人と関わっていたらいいと思う。
極端ですが『一人暮らし、友達いない』でも、コンビニへ買い物に行ったらレジの人と関わります。こちらが一言もしゃべらなくても、店員さんの『ありがとうございました~。』だけで関わった事になりますよね。
それでいいんじゃないのかな?『友達』いてもいなくても、自分がしんどくないのが一番!
それに『あの人友達いっぱい。凄いね。きっといい人ね。』とか『あいつ友達いねえし。なんか信用できないし。』とかって万人が思う訳がない。
と思う『ダメもと』でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。